- marco11: ドラッグを取り締まるんじゃなくて、バカを取り締まって欲しい。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939904503]
- marco11: バカ+ドラッグ っていう組み合わせが悲劇を呼ぶの。これは、バカ+アルコール でも同じでしょ。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939905047]
- marco11: バカ+銃 とかね。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939905490]
- marco11: バカ+人権 とかね。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939905939]
- marco11: バカ+人権って凶悪だよね。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939908318]
- marco11: あのさ、酒飲むと性格変わる人とか、記憶無くすまで飲む人いるじゃん。ああいうタイプだよ、薬でだめになる人って。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939910492]
- marco11: あと、メンヘラでしんどいからドラッグやるって人もいるしね。よく観ると、原因は先にあるんだよ、ドラッグよりも。でも、本人も含めて、ドラッグのせいにしたがるんだよみんな。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939911304]
- marco11: 欠落を埋めるように物質に頼る人は、依存するよね。まあこれはドラッグに限らず、酒、人間、仕事、カネ、すべてそうなんだけどね。 [http://twitter.com/marco11/statuses/939912612]
September 2008
than breakfast
is waking up next to someone
and having them gently touch your face
without you even asking.” —Dallas Clayton : scout : unicornology (via lalanii)
甘えん坊でない人は相対的に甘えん坊の面倒をみないとならない悲劇
“モノをつくる、クリエイティブってのは音楽とか絵とか思われがちだけれどね、そうじゃない。 モノをつくるっていうと、みんな「自分的」なものばかりつくるでしょ。ぼく自身もそうだったから、それはよくわかる。でも、自分が編み出したと思っていたリズムも、実は昔からあったもので、そのことがわかったときに、モノづくりっていうのは何かが自分を通して過去から未来に通っていくだけだっていう風に感じたの。 結局のところ一番の衝動は楽しさなんだよ。自分が楽しくやるためにそうやってる。「ノッちゃうなあ」って感じ。そこに自分がいる。”
— 細野晴臣『分福茶釜』より (via pootee)
ただ、新しいもの求めるということもある意味正しくて、なぜなら人は新しいものに感動するから。スゲーこれは新しい!と思うから、ノッってくることもあるよなあ。それは創る人も聴く人も同じ。そう思えるという事も「自分的」。
わかっており、わかっているとわかっている人は賢明である。ついていこう。
わかっており、わかっているとわかっていない人は眠っている。起こしてあげよう。
わかっておらず、わかっていないとわかっている人は学生である。教えてあげよう。
わかっておらず、わかっていないとわかっていない人は愚者である。かかわりあいになるのをやめよう。
” —Soros欧米の芸術家が観念的になるのは「なにごともきちんと説明しなければ伝わらない」という複合文化地域における日常感覚が前提としてあるからか。
それに対して日本人、特に音楽家はかなり楽観しているように見える。「説明しなければ伝わらないようなものは元々たいしたことがない」と信じていて、これは技術信仰にもつながってるだろうな。
“藤原 渋谷のセンター街などで地面に座っている子がいるでしょう。僕は昔、地面に座るような仕事をしたこともあるからわかるけれど、人間の目ってわずかな違いで風景が違う。地面に座って街行く人をながめると棚が違う。海の魚にはアジの棚、サバの棚だとか生息する棚がある。人間の世界にも、この20年で棚ができた。世代の違いがあってお互い交わらなくなった。特に10代、20代は違いますね。僕も高みから見て評論するのは嫌いなの。棚に飛び込んで、匿名でケータイ小説のサイトに投稿しなくちゃ。だから書いてみたけれど、文体がない文体というかな。
瀬戸内 私も書きながらびっくりしました。装飾も何もなくて、思うことをぱっぱっと書いて通じる。今まで自分が一生懸命いい文章を書こうとしていたのが、何をしてきたのかと(笑い)。
藤原 文章を書くというのは描写力とか文体とかボキャブラリーとか修飾語だとか、いろいろ繊細な要素がある。ケータイ小説にはそれが一切ない。下手したら300くらいの言葉で書けるくらいシンプル。だけどそれで子どもたちの微妙な心理の葛藤(かっとう)がちゃんと書けている。
瀬戸内 それが不思議だった。風景描写もなければ心理描写もない。こう思うというだけ。
藤原 文章を書く人の目指すところは、いかに文学的なものから離れていくか。研鑽(けんさん)を積んで高みに行けばかなりシンプルなものができてくると思う。初めてものを書いたり、写真を撮ったりした時は、無垢(むく)だから、いわばゴール地点と似ているようなところがある。ケータイ小説がシンプルな言葉の人のやり取りだけで一つの人間像や関係を描いているのは、本当はすごいことですよ。”— 毎日新聞の本と雑誌: 瀬戸内寂聴×藤原新也 対談 (via metaphone) (via konishiroku) (via 4kshike)
“いじめとは自分が認めたくない“影(シャドウ)”の要素を“いじめられる人間”に投影して行われる加害活動であり、“いじめられている人間”には“いじめる人間”が最も恐れている状況や嫌がらせが投影的に加えられるのである。 では、“いじめる人間”が“いじめられる人間”に投影している無意識の劣等コンプレックスとは何なのだろうか?それは簡単に言ってしまえば、『集団の中に居場所がなくなること』であり『集団の中でさらし者にされて侮蔑の笑いの対象にされること』である。いじめる人間とは、過度の外向的性格によって『他人の視線や評価』を意識し続けている人間であり、『他人から無視されたり否定されたり笑われること』を最も強く恐れているある意味で精神的に脆弱な人間である。なぜ、いじめの加害者はいじめ状況を維持し続けなければいけないのかという大きな理由の一つは、“いじめられている人間”を“笑い(嘲笑)の対象としてのスケープゴート(犠牲の山羊)”にしておかなければ、自分が広義の意味でのスケープゴート(みんなの娯楽の的)として屠られるかもしれないという抑えがたい不安があるからである。”
— ユング心理学の“影(シャドウ)”の元型から見る“いじめる人間”のコンプレックス:いじめと笑い カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ (via sandman-kk) (via jinon) (via thinkeroid)
“ベルリンって芸術とかにすごい寛容な街で、最初に行って思ったのが、“変わり者が変わり者として生きられる街”。たとえば東京で変わり者が歩いてたら、“あいつヘンだ、ちょっと避けよう”みたいになるけど、向こうでは、変わり者でも説得力があれば“その人のライフスタイルだし、表現だからOK”みたいになるような感じがあって。異様に水が合ったんです”
— 石野卓球(3) | ロングインタビュー | R25.jp (via takaakik)
筋が通っているかどうかが判断基準の国だなー。
西洋においては、唇で触れる場所により、その意図するところもまた変わってくる。状況により変化するが、以下に代表的な例を示す。
* 手の甲へ―尊敬
* 掌へ―お願い
* 頬へ―親愛の情
* 額へ―挨拶
* 唇へ―愛情(頬へのそれより更に親密である事の意)
* 瞼へ―憧憬
* 手首へ―欲望